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ぶらり古都巡り 奈良・京都  名所+食べ歩き

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・広隆寺 魅惑の弥勒菩薩を訪ねて
JUGEMテーマ:旅行



前から、京都に行く度に、必ず行ってみたいと思っていたお寺があります。
それが広隆寺。
なぜかというと、国宝第一号に認定されている「弥勒菩薩半跏思惟像」を一度で良いから生で見てみたかったからです。

以前読んだ川端康成の『古都』という小説で、主人公の女性の美しさを例えるのに、「中宮寺や広隆寺の弥勒さんの前に立たはったかて、お嬢さんの方が、なんぼ美しいかしれまへん」という台詞を読んでから、この仏像は一度見ておかなければ、思っていました。

しかも、数年前に韓国の慶州を観光で訪れたときに、すごく似た弥勒菩薩半跏思惟像を見て、「あ、やっぱり広隆寺の弥勒菩薩さんは朝鮮半島からのルーツを受け継ぐものなんだな」と感じていたこともあります。

その上、丁度1年前ぐらいに読んだ「秘密の京都  京都人だけの散歩術」という本で、在日コリアンでありながら、恥ずかしながら初めて、京都という都市の基礎を作り上げたのが朝鮮半島からの渡来系部族である秦氏であり、この秦氏が作ったのがそもそも広隆寺であることも知ったからです。

どうりで朝鮮半島と同じような仏像が日本にもあるわけです。



広隆寺のある「太秦(うずまさ)」という地名自体が、「秦」氏の名前からきているそうですし、秦氏は朝廷の財政を管理し、織物生産や醸造、土木事業にたずさわったりと、政治や文化の中枢を担っていたそうです。
広隆寺の近くに「蚕ノ社」という神社があるのですが、こちらも秦氏ゆかりの、百済からもたらされた養蚕技術の普及に伴い作られた神社だそうですよ。

ちなみに京都市の西区にある山吹で有名な「松尾大社」も秦氏の作ったお寺なんだそうです。なんでも秦氏は桂川一帯に治水を施し農耕地に変え、経済力を得、経済力を得た秦氏は朝廷の重役として仕え、平安京誘致も推し薦めたんだそうです。

このように、「日本の伝統」を象徴するかのような都である京都も、根幹の部分に渡来人の活躍があったことを知ると、改めて歴史の面白さ、深さを感じると同時に、昔の人って今よりもインターナショナルだったのかな?なんて思っちゃいますね。
国籍にこだわった頭の固い偏狭な政治を、いまの日本の政治家はしてますからね。

あ〜、前置きが長くなってしまいましたが、このような思い入れ?の元、友達といざ、京都は太秦にある広隆寺へ。嵐電に揺られて出かけました。



「太秦広隆寺前」で下車するとすぐ目の前に、仁王像の立つ広隆寺の立派な門が。

近所の「ふたば菓舗」さんの豆大福で腹ごしらえをした後、
いよいよ弥勒菩薩さんとのご対面です。
受付で700円を払い、弥勒菩薩が安置されている新霊宝殿へ。



堂内は、弥勒菩薩だけではなく、沢山の仏像が安置されておりました。
一番メインの弥勒菩薩以外は、かなり近くで見ることが出来るのですが、なぜか肝心の無禄菩薩半跏思惟像だけ、妙に離れた距離からしか見ることができません。

しかもこの像、結構小さい像なんです。その上、堂内は決して明るくもないので、ますますお顔が拝見しづらい状態でした。
必死で詰め寄ってお顔を拝見しましたが、見る角度によっても、表情が違う感じで、一番近くで弥勒さんの左斜め下から眺めたとき、にっこりと柔和なほほえみを私に向けてくださいました。



その微笑みは、魅惑的でかつ、こころを癒すような微笑でもありました。

その後、他に本殿などいくつの建物にも行ってみたのですが、なぜか全て中の仏像がほとんどあるいは全く見えない、あるいは立ち入ることすら出来ない状態になっており、なんだか寂しい気がしました。



結局拝観できるものがあるのは、この新霊宝殿のみでした。

これで700円は、はっきり言って高いと思いますが、前から見たかった弥勒さんに微笑んでいただけただけでも良しとします。ひとつ目的達成!

 広隆寺紹介HP 
Posted by chappy
ぶらり 京都編 / 11:56 / comments(2) / -
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- / 11:56 / - / -
COMMENT
ユダヤだのなんだの諸説ありますが、現在、最も有力で定説となっているのは朝鮮の新羅系説です。諸説あるといっても、確固たる通説はあるので。
因みに秦氏が始皇帝の末裔と名乗ったのは後世の創作であることが判明しています。

この程度のことも知らないですか?
| 通りすがり | 2010/05/14 4:59 PM |
はじめまして。「秦氏」のキーワードにビビっときたため、書き込みさせていただきます。秦氏の来歴は調べれば調べるほど面白いですよね。

秦氏の出自には諸説あって、百済・新羅・中国(秦)・中央アジア・イスラエルなどが唱えられています。
・日本書紀には秦氏は百済から来て「領民を日本に帰化させたいが新羅が妨害している」と応神天皇に助けを求めたとある。
・しかし彼らの持ち込んだ技術(瓦の形状など)は新羅系技術と似ている。
・当の秦氏自身は「我々は秦の始皇帝の子孫だ」と主張している。
・秦氏族は居住地近くの山に「天山」と名づけることがあった。中央アジアの天山山脈出身であることの名残だ。
・秦氏はネストリウス派を信仰し、各地に大避という名の神社を作った。大避はダビデの中国名であり、彼らはユダヤの末裔だ。

歴史ファンにはなかなか美味しい素材です。
| コモエスタ | 2009/06/16 2:34 PM |